江戸時代、この界隈(かいわい)には、伊勢国(いせのくに)津藩(つはん)(現在の三重県津市)藤堂家(とうどうけ)の上屋敷(かみやしき)(藩主が住んだ屋敷)、出羽国(でわのくに)鶴岡藩(つるおかはん)(現在の山形県鶴岡市)酒井家の中屋敷(なかやしき)などがありました。藤堂家が代々、和泉守(いずみのかみ)を名乗ったことから、この町は和泉町(いずみちょう)と呼ばれるようになりました。江戸時代のこの地は武家地であったことから町名をもっていませんでしたが、明治五年(1872)、神田和泉町の名前が正式に誕生しました。明治維新後、政府は津藩上屋敷跡地に東京医学所(現在の東京大学医学部附属病院の前身)を設立し、さらに明治七年(1874)になると、酒井家跡に文部省医務局薬場を設置しました。