江戸時代、この界隈(かいわい)は、武家屋敷が軒(のき)を連ねていました。古文書や古絵図をひもとくと、石川摂津守(いしかわせっつのかみ)、井上遠江守(いのうえとおとうみのかみ)、丹波園部(たんばそのべ)藩小出(こいで)家の上屋敷 
(かみやしき)といった名前が見てとれます。 

 そんな武家のなかでも、朝廷や公家(くげ)に関連する儀式などを担当した高家(こうけ)旗本(はたもと)の今川(いまがわ)家は、ひときわ目を引く存在だったようです。屋敷前の通りは今川小路(いまがわこうじ)と呼ばれ、明治五年(1872)には、この小路の名前から、今川小路一丁目、同二丁目、同三丁目という町も生まれています。

 

 

千代田区町名由来ガイド・神田神保町三丁目より

http://goo.gl/maps/iRmqh