伊達市蔵

伊達市発祥の居城跡

伊達市役所http://www.city.date.fukushima.jp/soshiki/87/141.htmlより引用

 阿武隈急行線高子駅から、北へしばらく進むと白い鳥居が目に入る。ここが、伊達氏がはじめて居城としたと伝えられる高子岡城跡である。鳥居をくぐり、桃畑を横目にさらに進むと、伊達氏ゆかりの八幡宮がひっそり立ち、往時の姿を偲ばせている。文治5年(1189)夏、源頼朝が率いる大軍が奥州平泉の王者藤原泰衡を討 つため鎌倉を出発した。8月になって、頼朝軍が伊達郡に侵攻すると、泰衡軍は厚樫山(国見町)の山腹に二重堀を築き待ち構えた。ここに世に言う「厚樫山の合戦」が開始されたのであった。この合戦で、泰衡配下の信夫庄司佐藤氏(飯坂大鳥城主)を倒し活躍したのが中村入道念西一族であった。中村氏は頼朝から恩賞として伊達郡を拝領し、後に高子岡に居城した。そして姓を伊達に改め、鎮護の神として亀岡八幡宮を山上に祭った(伊達氏ゆかりの八幡宮は、その後、居城が置かれた梁川や桑折、仙台にも建立された)。これより後、伊達氏は居城を梁川、桑折、米沢などに移し、独眼竜で知られる17代政宗のときに、豊臣秀吉によって伊達郡を含む旧領を召し上げられ、天正19年(1591)に岩出山城へ、慶長8年(1603)には仙台城へと移った。