昭和35年の二子玉川商店街
By Futako.t (投稿者自身による作品) [CC BY-SA 4.0], via Wikimedia Commons

昭和35年ごろ撮影。 右から煎餅屋(和神)、酒屋(ミ与志)、肉屋(信濃屋)、1軒挟んで御菓子屋(米屋)、電気屋(栗原)があった。裏手ではニワトリを飼育していた(その肉 は肉屋で捌いていた)。写真右上には池があり下駄スケートをする子供もいた。また、その奥には小川が流れていて食用にもなるドジョウがとれた(現在は暗渠 になっている)。

下駄スケート
下駄に刃(ブレード)を取り付けた日本独特のスケート靴である。現在の一般的な革製のスケート靴が広まる以前に日本国内で広く使用された。
1906年(明治39年)、長野県下諏訪町の飾り職人河西準乃助が、外国製のスケート靴を模して下駄の底に鉄製の刃をつけた「カネヤマ式下駄スケート」を発明した。この下駄スケートの流行により、スケートが日本国内に急速に広まった。現在のような革製のスケート靴に完全に取って代わられる昭和30年代中頃まで一般的に使われていた。
出典:http://ja.wikipedia.org/wiki/下駄スケート(CC-BY-SA 3.0)