一九四五年、ぼくは中学生だった について知っていることをぜひ教えてください

 

 

小諸図書館蔵。井出孫六さんの『1945年、ぼくは中学生だった』。

 

 

昭和19年野沢中学に入学した井出孫六さん、4月の応援練習は中止させられ、海軍式の軍歌練習に。そのあと、急遽5年生から招集がかかる。

「「これから“学生歌”の練習をはじめる」(中略)「海軍式の軍歌練習では味わうことのなかったような熱いものが、ぼくらの体をおおっていた。

 「学生歌」の一番を歌い終わるか終わらぬかのときだった。校庭を斜めに、教頭の黒豆が脱兎のごとく駆けてきて、「解散、解散」と怒鳴った。」

と“学生歌練習弾圧事件”のことが書かれている。

 

 

生徒の自治に任されていた応援練習が禁止されたということあったということを、現代の北高生が知っていれば、の応援練習のときに学生歌を歌う気合いが違うと思う。

 

 

 最後のところに、西川中尉が浅間山に突入したのが井出さんの記憶の中では玉音放送の後だったが、実際には17日だったこと、同級生に確認したらその彼も15日と記憶しているという、ミステリーのようなエピソードが。

 この話は、直木賞をとったあと1975年に北高で講演した際にも話されてました。

 

 

 

 

(井出さんは西川中尉が突入したこと「17日午前七時半」と記していますが、18日の朝だったようです。http://www.komoro.or.jp/nisikawa-kobayasi.html )


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