志原海岸は約1800万年前~1500万年前に堆積した地層からなっており、砂岩(砂がかたまってできた地層)と泥岩(泥が固まってできた地層)が交互に堆積した地層が分布しています。海岸には緩やかに傾斜した地層が広大な波食棚(海岸にみられる、波によって削られた平らな地形)を形成し、志原千畳敷と呼ばれています。また、東西と南北に延びる割れ目が海食崖(波のはたらきによってできた切り立った崖)や海食洞(波の浸食によってできた洞窟)などの見事な海岸地形をつくっています。ここでは多くの生痕化石(古生物の生活の跡が化石として残ったもの、足跡や巣穴)がみられます。

 

地元では通称「鳥毛(とりけ)の洞窟」と呼ばれている海食洞と、洞窟と洞窟の間に見られる節理。南北に延びる割れ目に沿って洞窟ができています。大きいもので間口の高さ約10m、奥行き約30mにもなります。

ダニ

 面が直交に交わっている砂岩泥岩互層海食崖。東西、南北の割れ目に沿って崩壊が起きています。

志原海岸に見られる生痕化石(サラシノイデス)。ゴカイの仲間が泥の中を這い回った跡と考えられています。このことから、志原海岸は、流れの緩やかな浅い海底で堆積したことがわかります。

志原千畳敷から見たトリケの洞窟とリバージュ・スパひきがわ温泉(渚の湯)。リバージュ・スパひきがわ温泉は、白浜温泉や椿温泉ほど有名ではありませんが、pH10.1以上の強アルカリ泉でお肌がツルツルになる隠れた美人湯です。地元の人たちを中心にリピーターがたくさんいます。また、海に沈んでいく夕日を湯船から眺めるのは至福のひとときです。リバージュ・スパひきがわ温泉は、白浜温泉や椿温泉と同じ枯木灘弧状岩脈沿いに存在します。

 志原磯に続く砂浜海岸(日置大浜)の南東側にある村島磯は、全体の形が熊の頭部に似ていることから「ベアーズロック」とも呼ばれています。ここは、地球規模の温暖期の海進により深くなった海底で堆積した泥岩層です。村島磯は、元々島であったのが陸地と短い砂州でつながって現在の形になっています。右の写真からわかるように、「ベアーズロック」の鼻の部分の地層の重なりは、やや垂直に傾斜しています。かつて海底で水平に堆積した地層が隆起する際に傾いたと考えられ、熊の鼻先の様子の特徴を表現しています。

 今は存在しない六部岩(左)。昭和47年9月16日、台風20号によって崩壊した。高さ10m、下部の幅3m、上部の幅4mの奇岩で志原海岸の名物でした。右は現在の六部岩があった付近。完全に崩壊しているのがわかります。

波食棚に見られる東西、南北に延びる基盤のような割れ目。紀伊半島には東西、南北方向にプレートによる力がかかっている。割れ目には、カメノテやアラレタマキビ、フジツボなどがみられる。

砂岩と泥岩が交互に堆積し、海側(西)にゆるく傾斜している海食崖。海中には崩壊した大きな岩がゴロゴロと転り、イサキ・グレ・イガミ・アオリイカなどのよい釣り場になっています。磯は休日になると多くの釣り人や磯遊びの家族連れで賑わいます。

志原千畳敷に続く海岸段丘と段丘上部からみた志原千畳敷。段丘面はほぼ平坦になっており、かつての波食棚の様子がうかがわれます。志原海岸の海岸段丘は、主に南海地震による隆起によって形成され、現在の高さ(15m~16m)になっています。