長島伸一先生の信州自治体学会についてのコメント について知っていることをぜひ教えてください

地域づくりを考える』編者 長野大学産業社会学部 郷土出版社 1997年4月5日より

 

二、まちづくりの運動

  ー栄村、望月町、飯田市の事例ー

(一)はじめに

地域の教育力 

「信州自治体学会という組織がある。学会と銘打ってはいるが、堅苦しい集団でない。県内の自治体職員が、まちづくりのキー・パースンの報告に耳を傾け、考えるヒントを互いに引き出してこようといった、地道な研究グループである。設立は一九九二(平成四)年。年二度の集まりは、九回を数える。数名の運営委員は、手弁当で企画を練り、開催地を持ち回りで決める。日頃から地域のまちづくり運動にアンテナを張っていなければ、企画はまとまらない。五年間の蓄積は、市民の運動に分け入り、キー・パースンを探し出してくる感度のいい公務員が各地に散らばっている、ということの証拠でもある。

 住み心地のよい地域づくりに関心をもつ市民や自治体職員に出会うと、こちらも元気がでる。情報交換の、またとない機会でもある。だから、多少の無理を押しても、この学会には参加しようと努めてきた。それだけの値打ちが、この会にはあるということである。」103P

 

(三)住民参画型のまちづくりー飯田市の事例

(略)

飯田のまちづくり

「しかし、それでは、いつまでたっても地域の教育力は引き出せない。高橋氏流の表現を模していえば、行政職員が「つくってやる」といった発想に立っている限り、どんなにハード事業を積み重ねても、市民の充足感は満たせない。市民と行政職員との協労システムをいかにして構築するか、まちづくりの鍵はその点にかかっているのである。

 そのためには、行政職員が一市民として市民の創る研究会や運動の中で共に考えていく器量がなければならない。市民の側にも、感度のいい公務員を取り込めるような器量が欲しい。そうでなければ、協労システムなど成立するはずもないからである。飯田歴史大学や人形劇カーニバルは、そのための息のながい実験と見ることができよう。

 ところで、高橋氏は、小論の最初にふれた信州自治体学会の運営においても、なくてはならない人である。その彼が、また次のような趣旨の発言もしている。ー現状の職員研修や人事政策だけでは、役所も町も活性化しない。仕事そのものが研修の場であり、住民との共同作業の中でこそ行政のプロの資質が問われる。そのために、公務員は市民の中に飛び込んで生きた情報を集め、継続的な学びを場を持たねばならない。」

 

(2020/12/29 土屋記事作成)


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